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今帰仁城跡(なきじんぐすくあと) 沖縄本島にある古い石積みの城跡です。 

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今帰仁城(なきじんぐすく)

 

遺跡名:今帰仁城 別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく) 位置:沖縄県国頭郡今帰仁村

時代等:14世紀 琉球王国以前
広さ:南北350 m 東西800 m 面積37,000 ㎡
沖縄本島北部の高台に石積みの防塁が連なっています。

大人の頭より大きな石がゴロゴロと積まれています。
14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城でした。
1416年に北山王国は中山王尚巴志に滅ぼされますが以後は、ここに北山監守が置かれました。1609年に薩摩藩による琉球王国への侵攻後の1665年には廃止されましたが、その後は具志川御殿十世今帰仁朝義と係累が明治時代まで監守跡を管理したそうです。
2000年(平成12年)11月に首里城跡などとともに琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。(登録名称は今帰仁城跡)。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(98番)に選定されました。
今帰仁城に使われている石は他の城に使われている30万〜50万年前に形成された石灰岩ではなく約2億3000万年前に形成された石灰岩(古生代石灰岩)だそうです。地殻変動によって隆起したもので本部半島のこの地域などでしか見られない特殊な岩盤だそうです。そのため石が凝縮されて硬いため当時の技術では切ることができなかったので、そのままの形を利用して積んでいきます(野面積のづらづみ)。これがそのためゴロゴロした石のまま積み上げられています。

それが独特の城の姿になっています。石が硬いため城壁をつくるのは大変でしたが完成すればその硬さゆえに頑丈で敵に攻略されにくい城になりました。
また、地形的に小高い山の頂上にあり、密林に囲まれているため敵としては川沿いから攻めようにも切り立った崖に阻まれる形になります。上から硬い石を落とすこともできるため守るのに適した城でした。
当時は丘の上か山の中腹に御嶽(ウタキ)という村を創った祖先の墓所があり村落も、その周辺に形成されていたため築城にあたって多くの労働力などを確保しやすかった場所だったようです。

出土品には中国製陶磁器など中国の様々な文物や高麗青磁器、東南アジアや日本からの焼物もあり当時の琉球地方の交易の広さがわかります。

てんてん
てんてん

人が一人では持ち上げられない石も砦の上のほうにゴロゴロしていました。どうやって積んだのでしょうか?

城壁の積み方

グスクの城壁の積み方は3種類あります。
野面積のづらづ
加工しづらい石を、そのままの形を利用して積んでいきます。一番古いタイプの石積み方法です。
「今帰仁城の城壁」

布積ぬのづ
石を豆腐のように真四角に加工して積み上げていきます。
「南山城の城壁」

相方積あいかたづ
別名亀甲積みとも言われるように5角形、6角形に加工した石をかみ合わせて積みます。
「首里城の城壁」

琉球王国以前は三つの小国家があったそうです。
それぞれの王国で城が築かれ残っています。
北部の北山王国(ほくざんおうこく)今帰仁城
中部の中山王国(ちゅうざんおうこく)首里城・浦添城
南部の南山王国(なんざんおうこく)南山城
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