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コスモス(オオハルシャギク) 今日は終戦記念日。花言葉は平和です。コスモスを日本にもたらしたイタリア人と日本人女性が結婚していました。  

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学名:Cosmos bipinnatus Cav. 和名:アキザクラ(秋桜) 英語名:Cosmos 分類/科名:キク科コスモス属
草丈:1~2m よく見かける場所:庭 公園  よく見かける時期:7~9月
花言葉:平和 調和 謙虚
夏から秋にかけて大ぶりのピンクや白い花を咲かせます。茎は太く、切れ込みが大きい細い葉をつけます。
メキシコの高原地帯原産の一年草です。標高1,600~2,800mの高地に自生しているそうです。
メキシコからスペインに渡りマドリード王立植物園に送られヨーロッパに広まったそうです。名前は、メキシコにいたスペイン出身の聖職者が花びらが整然とバランスよく並んでいることでギリシャ語のコスモス(調和)と名付けたといわれています。
日本には1879年(明治12年)に明治政府が設立した工部大学校付属の工部美術学校で彫刻の教鞭をとっていた彫刻家のヴィンチェンツォ・ラグーザがイタリアから持ち込んだとされています。
本種は、観賞用に栽培され日当たりと水はけが良ければ、やせた土地でもよく生育します。
同じコスモス属にキバナコスモスがあります。

観光資源として河原や休耕田、スキー場などに植えられたコスモスの花畑が活用されています。
秋の季語としても用いられています。

今日は終戦記念日です。コスモスの花言葉に「平和」がありました。ちょうど先日、撮影していました。平和を祈念して本日ご紹介しようと調べていましたら別の物語に出会いました。

てんてん
てんてん

「頭痛の心痛の腰痛のコスモス」 金子兜太
どう詠むのでしょうか。

【ヴィンチェンツォ・ラグーザの妻は日本人「ラグーザお玉」】
ラグーザお玉「清原多代(エレオノーラ・ラグーザ)」は、江戸生まれで若い頃から日本画、西洋画を学んでいたそうです。工部美術学校で学び教師のヴィンチェンツォ・ラグーザと出合い1880年(明治13年)に結婚しました。
夫のイタリアへの帰国とともに郷里パレルモに同行し、あらためてパレルモ大学美術専攻科に入学し夫ヴィンチェンツォが開設した工芸学校の絵画科の教師も務めたそうです。画家としてパレルモやモンレアーレ、シカゴなど各地の美術展や博覧会で受賞するなど、高い評価を得ていたそうです。わが国初の女流西洋画家でした。
夫の死後、1933年に51年ぶりに帰国し、6年後の 1939年(昭和14年)に亡くなりました。
写真日誌より

ラグーザお玉の展覧会が2017年にパレルモのサン・テリア宮殿で開かれていました。